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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ オハイオ : [おはいお] 【名詞】 1. Ohio 2. (n) Ohio ・ 州 : [す, しゅう] (n) sandbank
パーマ(Parma)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。クリーブランドの南に隣接しており、同市の郊外都市の1つになっている。人口は81,601人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕で、1970年に100,216人を数えたのをピークに減少傾向にはあるものの、クリーブランド都市圏内の郊外都市としては最大であり、オハイオ州全体でも、より減少幅の大きかったカントンやヤングスタウンを抜いて第7位となっている。パーマを含むクリーブランド都市圏は207万人、広域都市圏は350万人以上の人口を抱えている〔。 == 歴史 == 今日のパーマ、およびパーマハイツの両市があるこの地は、1806年にコネチカット土地会社のエイブラハム・タッパンが測量をして、6号郡区13号地と呼ばれていた。その後、四方八方に叢が広がるこの6号郡区13号地は、グリーンブライアーと呼ばれるようになった。当時はまだブルックリン郡区に属していたこのグリーンブライアーに最初に入植したのは、ニューヨーク州ルイス郡から移入してきた、10人の子供を抱えるフェイ一家であった〔Kubasek, p.57.〕。 やがて、グリーンブライアーが20世帯を抱える村になった頃、イタリアからこの地に戻ってきたデイビッド・ロング博士が、この村の雄大さと美しさに感銘を受け、パルマを思い出し、この地はグリーンブライアーよりも良い名を与えられるに値するとして、同市の英語読みであるパーマに改められた〔Kubasek, p.58.〕。 1826年3月7日、この地に新たな郡区を創設する、下記の議決が通った。 同日、郡の行政官は有権者に向けて告示を行った。1826年4月3日、有権者は法に従って新郡区政府の役員を選出するため、サミュエル・フリーマンの家に集まった。この結果、11人の役員が選出された〔。 この頃のパーマ郡区はほとんどが農地であった。最初の学校は、現在ではパーマハイツ墓地になっている丘の上に建てられた丸太小屋を校舎としたものであった。1827年には、郡区は道路で区画された〔Kubasek, p.60.〕。1849年に建てられた石造のフィリップ・ヘニンガーの家には、その後も1988年までヘニンガーの子孫が住み続け、現在でも同じ地に建っている〔。この家屋はパーマ郡区の北東部を見渡せる、カヤホガ郡内でも標高の高い部類に入る丘の上に建っていた。この丘はもともと、この地への入植が始まるよりも何世紀も前に、ネイティブ・アメリカンのエリー族が火による信号を送受信したり、宗教活動を行ったりする場であった〔Kubasek, p.64.〕。 1850年頃には、パーマ郡区の人口は1,329人を数えた〔Kubasek, p.70.〕。しかし、南北戦争で父親や息子、あるいはその両方を戦場に取られたこともあり、その後数十年間におけるパーマ郡区の成長は緩やかなものにとどまった。1910年頃のパーマ郡区の人口は1,631人と、微増にとどまった〔Kubasek, p.74.〕。 1911年、パーマハイツは住民投票の結果を受け、パーマ郡区から分離独立し、面積4.13mi2(10.70km2)の村として正式に法人化された〔Kubasek, p.93.〕。クリーブランドの地元新聞紙、プレイン・ディーラー紙は、パーマハイツ分離独立の背景について次のように記している。 1920年頃には、パーマ郡区の人口はわずか2,345人を数えたに過ぎなかった。しかし、その後の数十年間で、パーマは劇的な成長を遂げていった。1924年12月15日、パーマ郡区は村として正式に法人化された。とりわけ、1919年に始まり、1920-30年代にかけて行われた、H・A・スタールによるリッジウッド・ガーデンという住宅開発は、パーマの成長に大きく寄与した〔"Real Estate Has Made Many Rich in City". ''Cleveland Plain Dealer''. 1919年4月13日.〕〔"From Green Fields to City Streets". ''Cleveland Plain Dealer''. 1926年9月2日.〕。オハイオ州初の田園都市であった、クリーブランド東郊のシェーカーハイツの住民であったH・A・スタールは、リッジウッドをシェーカーハイツに倣い、かつ対抗して、「教会、学校、映画館、コミュニティハウス、その他住宅地として必要なものを全て揃えた」、「モデルとなる村」とすべく、リッジウッドを開発した〔"Ridgewood - The New Home Community". ''Cleveland Plain Dealer''. 1920年7月4日〕〔"Thousand Acres In Latest Plot". ''Cleveland Plain Dealer''. 1921年4月30日.〕。リッジウッドは1,000エーカー(4.05km2)の敷地に40,000人が住める、「エリー湖面より325フィート(99m)高い、サウスサイドの健康的な地域に広がる、工場の煙とも(クリーブランドのダウンタウンの中心にある)パブリック・スクエア周辺の交通渋滞や騒音とも無縁な」田園都市として設計され、売り出された〔"Ridgewood - The New Home Community". ''Cleveland Plain Dealer''. 1920年7月11日閲覧.〕〔Horley, Robert. ''The Best Kept Secrets of Parma, "The Garden City": A study of Parma's streets and the Ridgewood community''. R. Horley. 1998年. ISBN 9780966172102.〕。 1930年の国勢調査では、パーマは人口13,899人を数え、翌1931年1月1日にパーマは市制を施行した。しかし、7年前のパーマ村の法人化の際は大いに楽観的であったのに対し、この市制施行の際は、世界大恐慌の直後で成長がほぼ止まったということもあって、不安要素が大きかった〔Kubasek, p.137.〕。資金には乏しく、税収も限られていた中で、市と学区の両方をクリーブランドに合併する声まで聞こえ始めていた。しかし、そのいずれの合併案も、パーマの住民投票によって棄却された〔Kubasek, p.142.〕。その後まもなく、ギャラガー法が新たに制定され、パーマに監査官がついたことによって、パーマは支払い能力を回復した〔Kubasek, p.146.〕。1940年代に入ると、第二次世界大戦に突入すると共に、全米各地と同様に、パーマでも建設ブームが起こった〔Kubasek, p.153.〕。 第二次世界大戦が終わると、パーマはクリーブランドの中心部から流出した人口の受け皿となって急激に成長した。1950年代には、パーマは全米で最も高成長を遂げた都市となった〔Andrews, Al. "Parma is Unchallenged as Fastest Growing in US". ''Cleveland Plain Dealer''. 1956年4月1日.〕。1950年に28,897人であった人口は、その後の10年間で約3倍に増加し、1960年の国勢調査では82,845人を数えた。1970年には、パーマの人口は100,216人を数えてピークに達し、クリーブランド(750,903人)、コロンバス(539,677人)、シンシナティ(452,524人)、トレド(383,818人)、アクロン(275,425人)、デイトン(243,601人)、ヤングスタウン(139,788人)、カントン(110,053人)に次ぐ、州第9の規模になっていた〔Table 20. Population of the 100 Largest Urban Places: 1970 . U.S. Bureau of the Census. 1998年6月15日.〕。 その後、パーマの人口はクリーブランドやカヤホガ郡全体と同様に減少傾向にあり、2010年の国勢調査では81,601人となっているものの、レイクウッドやクリーブランドハイツなどと同様、パーマは20代から30代前半の若年成人層、特に人種的少数者には人気の住宅地となっている〔Smith, Robert L. Cleveland's urban scene gets a boost from young adults moving in . ''Cleveland Plain Dealer''. 2013年2月14日. 2015年12月17日閲覧.〕。また、2010年には、ビジネスウィーク誌の記事で、パーマはレイクウッドなどと共に、オハイオで子供を育てるのに最も良い場所の1つとして取り上げられた〔Best Places to Raise Your Kids: Ohio . ''BusinessWeek''. Bloomberg. 2010年. 2015年12月17日閲覧.〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パーマ (オハイオ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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